鎌倉時代、健保2年(1214年)宗祖親鸞聖人が、東北御巡錫の折、佐久山宿箒川の川端の孫八宅に一宿しました。その際に聖人が孫八に阿弥陀如来の尊像を授与されました。(川越の阿弥陀如来)その尊像を安置するために孫八が御堂を建立したのが正浄寺の起源であります。

後に本願寺二代目の如信上人、三代覚如上人、八代蓮如上人が御堂に巡錫されました。その御堂は孫八の子孫が代々継承し、孫八より数えて8代の後、衰微するに至りました。室町時代の文明元年(1469年)には釈霊生が堂宇を建立しましたが、その後また衰退しました。

江戸時代の寛政10年(1798年)佐久山領主であった福原内匠資明が寺領を再興、仏舎を再建しました。当時、京都本願寺役僧西山源慶師は二十代広如上人の命により越後中頸城郡寺野村正浄寺の寺号を移し、中興開基住職となりました。

本願寺は、正浄寺を直轄兼帯所佐久山御坊(本山の直轄寺院)とし、後に佐久山御坊所川越山無量寿院正浄寺と公称する許可を与えました。

川越山無量寿院正浄寺の現住職である釈良智は川越の阿弥陀如来様を代々護り、次世代へと継承する、孫八より数えて二十一代目の堂守でもあります。

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